再度お知らせ

コロナ禍の影響で、バリ島観光案内をしていたソカバリツアーのブログは終了。有料サイトの記事を無料版に移行する元気も環境もなく、当時数年間のブログは消えてしまいました。

消えちゃうから、もう有料版を使うことはないだろうな。

その後2021年4月より、こちらにて個人ブログを綴っています。

日々の暮らしや育児に追われながらも趣味でYouTube Vlogをはじめてみたり、相変わらずカメラ好きです。

今更ながらのご連絡ですが、もしよろしければブックマークのご変更を。

コミュニケーション

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バリの人は人とぶつかることを出来るだけ避けて日々を過ごしているように思う(みんなじゃないけど)。毎日一緒に過ごしていると、「なんでそんなことに気を使うの?」とか「そこで相手に気を遣って嘘ついてまで誤摩化すことのほどじゃないのに」とか「余計効率悪い」と感じることもあって、まぁこれも人によると思うけれど、反面、コミュニケーション能力がすごく高いなぁと感心させられる面も多々ある。

“bergaul”というインドネシア語は褒め言葉として使われる。人とすぐに打ち解けられる、という意味。

問題があった時も、誰が悪い、という犯人探しはあまり追求しないで解決するとか、どんなに相手の悪口を言っていても、本人の前では絶対にそれを見せないとか(苦笑)。とにかく対立構造は極力作らない、西洋とは全く反対のコミュニケーション手法だと思う。

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私は昔から真っすぐさしかない子どもだったので、アメリカに留学して以来、「周りと合わせないといけない」という思春期特有の意識から一気に突き抜けてきたような所がある。なのでバリ人のそういう二面性を見ると、日本のいじめ社会と似た気質があるなぁと感じたりもするのだけれど、何かがちょっと違う。もっとカラッとしている。いろんなことがあっても「まぁ人間だもんね、しょうがない」って許し合う懐の深さがある。

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日本人の場合、二面性があって裏で悪くいう人というのは、相手を貶めてたい悪意がより強いように感じる。それは、そんなにない。ただ、本人に直接はっきりと伝えないだけ。伝えるときも角が立たないよう相手を尊重し、ものすごく表現を柔らかくしている、そんなかんじ。

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最近のお出かけ先

バリの移住生活についていろいろと書こうと思ったこのブログだけど、結局毎回ひとりごとのようなつぶやきで埋め尽くしてしまっています。仕事がはじまり、1年目と比べてもいろいろとありすぎて、本当は書きたい小ネタは山ほどあるのですが。

ここ最近していたこと。

サカ歴1936年のニュピはウブドで過ごしました。
今住んでいる所で一人にならないようにとアメリカ人ヨガインストラクターが持っている家にホームステイしたはずが、当日は長期滞在者が皆テガラランへ行ってしまったので、うちよりさらに広い家で芙歩と2人っきり。でもオゴオゴがようやく見られたのはよかったかな?

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目の前を通る髪を盛りまくった女性はこれから寺へ向かうバリの踊り子。

ニュピの前にはメラスティというバリの島中のお寺の浄化儀式があり、海までの道に参加。ペレレナンビーチへ行ったのですが、とにかく暑かった。。。スンバヤンひとつでものすごいエネルギーを消耗しましたが、村の人々は晴れ晴れとした明るい表情。
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ニュピ明けには友人家族のいるバトゥアンへ。毎度のことながら「オダランあるけど行く?」と声をかけられ、そのまま夜遅くまで村のゆったりとしたレジャン舞踊を眺めていました。

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ヌガラへはもう3度目になるでしょうか。
ヌガラのあるジェンブラナ県はタバナンの更に北にあり、車で3時間ほどかかるのですが、このエリアの木や草花は本当に力強く美しい。

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日本から友人か来たので、週末を利用して一緒にシドゥメンのタイル工場とお宿へドライブ。優しい緑と光のあふれすシドゥメンにいると心が落ち着きます。レストランの食事も美味しかったし、この宿にはいつか泊まってゆっくりしてみたい。
 
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デンパサールの友人に声をかけられ見て来た、とある村のチャロナラン。バリのウク暦でカジャン・クリオンという霊力の強い日と、暗月とに重なった夜に上演されるそう。レゴンクラトンからはじまり、さまざまなバリエーションの奉納舞踊(劇)が4時間ほど続きます。ギャンニャールとは少し違った雰囲気ですが、ガムランの演奏もさすがに素晴らしい。トペン・テレッやジャウッを初めて鑑賞。

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チャロナランではクラウハンといわれるトランス状態に陥る観客や踊り子が続出します。この時も毎回ひとつの踊りの終わりに、たくさんの踊り子たちがトランス状態で倒れ、何やらわめきながら男性陣に抱えられ退場…。クラウハンはバドゥン(クタ、スミニャック)やデンパサール、サヌールでは頻繁に起こりますが、他の地域ではそうでもないのだそう。都会的な生活やストレスと何か関係があるんじゃないかな、と個人的には感じています。

仕事メインの生活に入りましたが、合間にちょこちょことバリの文化や芸能にふれる機会が何よりの楽しみです。 “最近のお出かけ先” 続きを読む

The right direction

イヤなことがたくさん起きる時は、その時向かっている方向が間違っているサイン、という文章を読んで、なるほどと思った。

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3月。まず家の電気が二度停電し、ついでに扇風機2機の修理もできるという修理屋を呼んだら、3時間遅刻はするわセクハラ発言満載で19時まで帰らず、結局2000円とられ完全には直らず、他の修理屋に変更。その上仕事に関して、ビザにまつわるもろもろの不安感が浮上。

考えてみたら家が雨季の雨と工事の影響で洪水が起きた時も、11月で孤独に過ごした時で、距離を置いた人間関係を元通りに回復すると途端に毎日が平穏になった。それほど何かが劇的に変わったというわけでもないのだけれど、進んで欲しかったことが進むようになり、ピッタリと不安感もなくなった。

自分なりに考えて決断したことだったけれど、その判断基準は自分の外にあったのかもしれないと今思う。4/9にこんなことをメモしている。

考えさせられることが怒濤に続いています。仕事のこと、お金の作り方、人とのつながり方、すべてがものすごいタイミングで、ぐわわわ〜っとあるべき方向に落 ち着きつつあるような、いやいや、これからもいろいろありそうな。自分にとって大切か何かが、必ずしも世の中の形にそぐわないことがあって、自分の中にあ る「こうあるべき」で実は自分自身が苦しめられたりすることもある。でもだからって間違えてるわけでもない。形だけあっても意味がないし、お金があればいいってもんでもないなぁと。少なくとも私にとっては。

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「私はわがままなの…?」という問いかけの裏に「わがままな人間はダメだ」という自己否定が隠れている。自己否定すると、「他者に認めてもらいたい」という承認の欲求が満たされない。欲求が満たされない場合は劣等感や無力感が生じる。

でも他者の評価=自分の評価という考え方が強すぎる場合、罪悪感に負けて自分が望む人生はつくれない。「自分らしく」と「他者が思う良識的な人」は必ずしも一致せず、不具合を起こすことがある。

夢に向かっている人はどこかの時点で夢を「決めて」いて、その夢が、周囲の人を納得させ、感動させ、思わず協力したくなるような夢の場合応援してもらえる。人は、一生懸命な人を応援したくなり寄ってくるから。その軸は社会的、一般的な「良識」とは違うところに道が敷かれていることも、時にはあるんだなと。

この記事も参考になった。

The happy two

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It’s hurting to see that someone looking not healthy and not happy after the distance.

If it’s on purpose you need to change your habit. Because if you keep depending on someone, the relationship gradually becomes just a burden for your counterpart. You bring out the potential elements of badness your counterpart conceals. Eventually you are inviting unhappiness to you, and your surroundings repeatedly. So let’s stop this repeat and find out what you really want.

Just like you want someone who listens to you, she also wants the same thing. Stop entrenching your bad habit.

I am not looking for dependent relationship. the Independent two can make happy together and count on each other. And I am looking for happiness. Aren’t you, too?

育つ庭

引っ越してきたばかりの9月の庭はなーんにもなかった。
家の周りに落ちていたセメントタイルで通路を作り…

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周りに芝生を植えて、花や植木を足しました。

 

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芝生は育ってくれたものの、11月の雨季からは洪水の問題が!
家の前にある祭壇の横(川際)に、壁を作ってしまい、坂の上では家の建築工事が数軒あったせいで、砂が水路を塞ぎ、壁で雨水の行き場がなくなってしまったことが原因でした。1週間ほど騒いでようやくご近所さんに手伝ってもらい、みんなで砂を片付け、壁の一部を壊しました。

なんでも祭壇の隣に川があるときは塞いだ方がいい、というのはバリヒンズー的な考え方なのだとか…この時はさすがに焦りました。

 

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庭に植えた植物はどんどん成長して花をつけてくれました。

 

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聖なる花ジュプン。

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こちらはピンク色。ジュプンは大好きなので2本。

 

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裏庭はそれほど手は入れていませんが、木は枯れることなく少しずつ成長している感じ。雑草も生えて壁の荒い感じとなじんできました。
本当はもっといろいろやりたいところなのですが、一応1年間の賃貸契約なので悩み中。

 

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前の庭。テラスからは川に向かってテーブルをセット。
夕方ここにいると気持ちいい。

 

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敷地内の祭壇にはこんな住人が。

 

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最近は前の家の鶏たち裏庭にやってきます。
植えた草を1種類食べ尽くされてしまったのでちょっと怒って、ゲートに網を張りました。が、1組の鶏親子だけはどこから入ってくるのか毎朝来るようになり、裏庭の雑草を食べてくれるので、これもいいかなと受け入れることにしました。

そして先月からはたくさんのチチャに加わり、「トッケイ」が新たな住民として引っ越してきました。
鶏とトッケイの写真はまたいつか。

お祈り

本日は満月。

そういえば1ヶ月前から、クバヤを買い替えたり、新しい服や下着をちょっとずつ買い足して、穴が開いたり黄ばんだりした服を処分している。バリで暮らして いると、何故か服のあちこちに小さな穴があくし、白い衣服は日本よりはやくに黄ばんでしまう。何も考えず気の向くままの行為だったけれど、これには意味があったのかもしれない。その後気持ちがひとつ、落ちたのです。ぽとりと。

そんな無意識の心の整理をしていたところ、昨夜はさらに思い立ち、部屋の配置換えをしたくなった。夜中まで汗をかきながら、隅々まで掃除をしつつ、家具を置き換えた。

今日はとある場所で「なっちゃんがスンバヤンしてくれない?」と言われた。家で気が向いたときにお祈りはしていたけど、他の場所でお供え物をして祈ることはしたことがなかった。いつも傍で見ているのでなんとなくこんな感じかな、というのは分かるけど、細かなしきたりは知らないし、私はヒンズーじゃないか ら恥ずかしい、といったところ「やりなさい。そろそろ勉強しないといけない。心があれば大丈夫。」と、ほぼ強制。拒否権なし。

聖水を使ってのスンバヤンはしたことがなかったけれど、横についてもらいながらひとまずお祈りをした。聖水のかけ方、お祈りの仕方は地域によって少しずつ 違うのだそうで、その人の地域でのお祈りの仕方を教えてもらった。言霊がこもり響くように、唱える言葉は日本語で。

まだまだ不要な念があるように思うから、今夜もまた少し、持ち物を整理してみようかなと思う。 満月の心の整理。 心の中にある不要な感情を浄化してお祈り。 雨と共に流れ落ちてゆきますように。 美しい心に戻りますように。

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ちょっと違うもの

外国に暮らして思うことは、自分の日々の生活や展望をしっかり整えていくだけで精一杯な時があり、精神的なアップダウンは避けられない。日本で暮らす以上に何の保証もないし、これまで常識で捉えていた時間の流れや人の動き、物事のプロセスはがらがらと崩れ去る。もう笑うしかないので普段はネタにしているけれど、だからといっていつもポジティブでいられるわけじゃない。「もうダメだ」なーんて心細くなってしまう時もある。

なので、今以上の難題を持ち込んでくる相手はいらないなーと思う。私とは無関係の事情。あなたしか、あなたは救えない。

関係性の中で私が気をつけないといけないことだって、もちろんあるんだろうけれど、耐えて耐えて相手に期待し続けて、最期にやっぱりがっかりしながらこの世を去った人の悲しさを、私は間近で見届けてしまったからこう思うのかもしれない。

世の中には同じようにパートナーシップで悩んでいるように見える人はたくさんいる。でも、自分が勇気を出せない理由を他人や環境のせいにして、いつまでもオブラートで包み生きたがる人も、たくさんいる。幸せになるための覚悟がないのかな?

私の大切なエネルギーに水を注いでくれる人。
栄養をくれる人、一緒に毎日をがんばっていける人。
2人でポジティブになれる人。
一緒に育てていける人。
ありがとう、がいいあえる人。
私が求めているのはこんな関係。
何か大切なことを、ちょっと思い出した気分。
もう忘れないようにしたい。

シンガポールで見かけた、黄色いブーゲンビリア。

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Back to Bali

Honestly I was a little worried about myself in Singapore, because I was very enthusiastic about people who are renovating old chinatown in such a creative way in a big city, and it was beautifully done. Even the shower in a small room at my hotel was more poweful than my place, I have forgotten what ‘everything is there’ have meant. All you have to do is pay for it.

 

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Reminds me of my life in Tokyo where it’s very convenient , creative but also can be stressful and lonely with lots of what’s called ‘privacy’. I think this feeling is stronger in Tokyo than in Singapore.

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But when I came back to Bali I felt another relief that there is still so much more nature on this island. Eventually the enthusiasm was only for temporary. Although there are no public trains or buses that comes every minute like a big city, or life is sometimes very inconvenient, you don’t feel like you have to achieve ‘something big’ in the society and you won’t be dragged in the same way of ‘success ‘ as everybody does.

The god of nature embraces every single life, and I wish Bali will be one of the place on earth that people can live with nature in harmony even holding modern and ethical way of thinking, because it surpass any other ideals. Materialistic and convenient life consumes more on earth, not to mention purity of human mind.

I love the sky of Bali without any annoyance of cold high modernism buildings.

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